実際の地域の日本語教育の現場というのは、どのようになっているのでしょうか?経験者の生の言葉を聞いてみましょう。
理論・概念編の講座では、地域の日本語教室のあり方について、理念的な側面から一緒に考えてきました。この講座では、必ずしも理想通りにはいかない地域の日本語教室の「実際」について、研修担当の講師である石原嘉人先生の経験をもとにして、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。
はじめに:現場の実際を知ることの重要性
では、ご自身の経験を話してくださる石原さん*について、簡単にご紹介します。
*この講座では石原先生の一ボランティアとしての経験に焦点を当てますので、「石原さん」と呼称させていただきます。
今回、石原さんの経験に焦点を当てたのは、石原さんのもつ、以下のようなプロフィールが今回のテーマにぴったりだと思ったからです。
石原嘉人さん
(沖縄大学・沖縄国際大学 講師)
どんな人?
経験の長さ
職業としての日本語教師歴・約35年
現場経験の数
国費留学生のための短期集中予備教育/学部学生・大学院生・交換留学生の日本語教育と日本事情教育、サバイバル日本語/日本語学校(告示校&非告示校)/海外/個人レッスン/生活者支援ボランティア@地域日本語教室、他
養成講座を受講していない
常にぶっつけ本番での対応(「習ったことを教える」のではなく、目の前の現状を把握し、それに応じて創意工夫をしながら対応してきた…)
ご覧の通り、石原さんは日本語教師としての経験が長く、その種類も多岐にわたっているだけでなく、日本語教育に関してはプロであるけれども「生活者としての外国人」への日本語教育の経験はない、という状態から体当たり的に実践を行い、そこから様々なことを学んできたという経験を持っています。このため、みなさんと非常に近い視点での地域の日本語教育の「実際」についての話が聞けると思います。

私は地域日本語教室で初心者として「生活者支援」の現場を経験し、日本語学校や大学などにおける「日本語教育」の現場との違いを痛感しました。 浅い経験に過ぎませんが、その時の戸惑いや試行錯誤について振り返り、その分析結果を共有できれば、皆さんの参考になるのではないかと思います。
この過程で「無力感や挫折感をたっぷり味わった」とのことですが、このような経験から、職業日本語教師と生活者支援の従事者との間にある隙間について、忌憚ない話が聞けるかと思います。では、石原さんの話をもとに、みんなで日本語教室のあり方について一緒に考えていきましょう。
実際のボランティア経験から
では、まず、ボランティアや個人レッスンといった地域の日本語教育の実践者としての話を聞き、それらの話を元に地域の日本語教育の実際について一緒に考えていきましょう。
経験① 阪神淡路大震災の在住外国人支援
まずは、阪神淡路大震災の後に地域在住外国人への日本語支援のボランティアに個人として参加した際の経験についての体験です。
阪神淡路大震災とき、神戸市灘区の公民館で地域在住外国人を対象とする日本語支援ボランティアの募集があり、石原さんは個人として参加しました。以前の講座でも少し触れましたが、この震災は多文化共生の展開におけるひとつのきっかけとなった出来事です。
阪神淡路大震災
石原さんがボランティアとしての日本語教育に携わったのも、この阪神淡路大震災のときからだそうです。

日本語教育には1980年代半ばから携わってきましたが、いちボランティアとして「地域日本語教室」に関わるようになったのは阪神淡路大震災がきっかけでした。震災は様々な意味で日本に転換点をもたらしました。ケータイの普及、ボランティア元年、やさしい日本語への注目、多言語FMなど。関西でマルチリンガル放送を展開したFM Cocoloの初期のDJの半分ぐらいは、私が教えていた留学生が務めていました。
職業的日本語講師としてある程度経験を積んでいた私でしたが、「地域日本語教室」に顔を出してみて、正直言って、途方に暮れました。私の目に映った当時の現場は、こんな印象でした。
石原さんは「途方に暮れた」そうですが、当時の日本語教室はどのような状態だったのでしょうか?
ボランティア現場の実態
教室では『みんなの日本語』が配布され、手探りで日本語の授業が始まったそうですが、さまざまな問題があったそうです。
当時は以下のような問題がありました。
① ボランティア側には「教える」という概念が先立っており、国語教育のイメージしかありませんでした。
② 一対一で対応…継続性が無く,授業計画を立てづらい状況でした。
③ 過酷な労働環境の日系人が主な支援対象で、来訪者の入れ替わりが激しい
④ 燃え尽き、撤退するボランティアたちも多かったです。
⑤ 指導することも助言することもできない自分でした。
⑥ 行政サイドにもノウハウがない状態でした。
ボランティアとして集った人たちの善意が生かされるための仕組みが必要だと痛感しました。
問題が山積みといった感じですね。でも、単に大変なだけの経験ではなかったようです。
感じられた希望
このような中でも、希望の光を感じることがあったそうです。当時の神戸市東灘区での支援活動の対象になっていた外国人の多くは南米から来た日系人で、月に二日しかない休日を費やして、支援を受けに公民館へ来ていたそうですが、以下のようなエピソードがあるそうです。

幼い子供を持つ世代のご夫婦もいて、両親が日本語を勉強している間、子どもたちが行くところがなく困っているようでした。それで、若いボランティアたちが近所の公園で鬼ごっこなどをして遊んであげるということになったのです。
親たちの日本語学習はなかなか進みませんでしたが、子供たちとの交流はとても好評で、じっさい楽しそうでした。
当時まだ高校生だったボランティアが、その後、石原さんが勤めていた大阪外大に進学して日本語学科で学び、卒業後は愛知県で日系人支援のスタッフになったというケースもあったということです。
個人的な葛藤
また、石原さんの教師個人としての葛藤として、次のようなものがあったと言うことです。

例えば、大阪の日本語学校に通う留学生がJLPTの試験対策を求めて来所したときは、以下のような点で悩みました。
① 職業としての活動を無償で提供することの是非は?
② 日本語教師がボランティア現場で果たすべき役割は何なのか?
「日本語教育ボランティアとはそもそも何なのか?」という根本的な問いですね。答えるのは難しそうです。また、自分のそれまでの経験が役に立たないことを思い知らされて落ち込んだこともあったそうです。
では、みなさんも一緒に考えてみましょう。
- 考えてみよう!
石原さんのボランティア経験に関する話の中で、どんな部分が特に関心を引きましたか?また、それらの話を聞いてみなさんが感じた問題意識や、自身の経験と関連することなどがあったら、それを書き出して、隣の人と話し合ってみましょう。
経験② 在住ブラジル人の個人レッスン
次に、日系ブラジル人への個人レッスンを行った経験について話してもらいました。
個人レッスンの機会
石原さんは、生活支援ボランティアとしての自分が無力であることを思い知ったこと、明石から神戸市東灘区の公民館まで往復するのが大変だったことから、毎週日曜日の活動がつらくなってきた頃に、当時住んでいた明石市でも「地域日本語教室」が始まることを聞いたそうです。そして、そこで出会った日系三世のブラジル人の方から、「仕事のため日曜日の教室に毎週通うことができない」という事情を聞き、無償で個人レッスンを引き受けることになったそうです。

その方は足つぼマッサージ店で働いていて、接客のための会話はこなせるのだけれど、平仮名もカタカナも全く読めないということでした。そこで、平日の夕方に個人として平仮名とカタカナを教えることになったのですが、これは、職業的日本語教師としての経験を役立てるための試みであり、留学生以外の日本在住者のリアリティを知るために非常に役立つ経験となりました。
それまで、同じ人を繰り返して支援するという経験がなかったのですが、この時は相手のニーズを確認しながら、教え方や教材作成を工夫して反応を探ることができたのです。また、休憩時間の雑談を通して、生活者として働く外国人のリアリティを知ることもできました。
その際にわかった、地域の日本語教室でのぞまれる学習・教材というのは以下のようなものだそうです。
地域の日本語教室でのぞまれる教材・学習法
- 学習目的が明確で、一回限りで完結する教材
- 学習者が情報提供する側に立てるよう工夫する(双方向性)
- その学習者に適した教材を随時選べるようにする
- 文法の説明を極力省いて、学習負担を軽くする
では、実際にこのような観点から行った指導方法や作成した教材を少し紹介してもらいましょう。
ひらがな・カタカナ学習の例
例えば、以下のような文章・学習方法を通じて、ひらがなとカタカナの指導を行ったそうです。
「カイピリーニャはピンガとレモンのカクテルです。」

これは、日本人がブラジル人に教えるのではなく、ブラジル人が日本人に教える場面です。このように、学習者が情報提供する側になるようなものも含めることが重要だと思います。以下の例も同様です。
「サバスには、フェイジョアーダやシュハスコがあります。」 “churrasco”

「シュラスコ」でなく「シュハスコ」という読み方から、ブラジルではchurrascoの-rr-を「は行」の発音で読むことを教えることになります。「サバス」というのは神戸にあるブラジル料理店の名前です。食べ物の名前や地名、有名人の名前などが日本語でどう表記されるか、等を念頭に置いて例文を作ることで受講者の興味を引くように工夫しました。このようにすることで、例文に挙げていない事柄についても自然な流れで説明してもらい、私自身が学ぶこともたくさんありました。
「ブラジルでは、みどりはきぼうのいろです。」

これは色の表現が話題になった際に、ブラジル国旗の緑について教わったことです。大人同士なので、一方的に教わる関係よりも、相互に教えたり教わったりすることが大事だと悟って、例文を考える際には、可能な限り、話題が広がりやすいものを考えるようになりました。この感覚は、他の教育現場でも同じぐらい重要な感覚なのですが、この時は時間に追われずに二人のペースで進めることができたので、いい経験になったと思います。
「「いそがしいですか?」という挨拶への返事は?」

接客の際に、よくお客さんから「忙しいですか?」と聞かれるけれどどう答えたらいいのかわからない…という相談でした。皆さんだったら、どう指導しますか?
私は、こう言ったら良いだろうと伝え、意味とニュアンスを解説しました。
「びんぼう、ひまなしです」
・・・お客さんからの反応は上々だったそうです。
ポイントは「ブラジル人が話したくなる」内容にしてあるという点だそうです。理論・概念編の講座でも見ましたが、一方的に「教える」のではなく互いに「教え合う」という点が重視されています。
ひらがな・カタカナ教材の例
以下は、ひらがな・カタカナの学習のために石原さんが作成した教材の一例です。
教材例① ひらがな学習教材の例
教材例② 漢字学習教材の例

これは半年ほどかけて平仮名、カタカナに慣れた頃に、漢字に興味を持ってもらうために作ったものです。本人が日本で7年も働いていて、基本的な会話には不自由しないということだったので、こういう例文を通して学ぶということができたのです。
この時の体験を「研究ノート」としてまとめたものが、琉球大学の紀要に掲載されています。職業的日本語教師としてどのように経験を生かすべきかを考えて整理したものです。この中では、会話を弾ませるためのワークシートのようなものを作成して常備しておいて、それを二人で埋めながら会話を進める、といったイメージのものが提案されています。その際に、地元特有の店名や料理名(沖縄なら、サンエー・メイクマン・タコライス・ゴーヤーチャンプルー・シークワーサー)等を盛り込んで地元意識を共有するとか、そういう工夫を盛り込みます。それをデータのまま他の都道府県の地域日本語教室と共有して、固有名詞の部分についてはそれぞれの地域に合わせて書き換えて使う…、といったアイデアです。
この研究ノートは以下からダウンロードできます。
参考リンク
とても興味深い話でしたね。いろいろな挑戦をしながら、生活者としての外国人への日本語教師としてさまざまなことを学んだと言うことでしたね。
- 考えてみよう!
みなさんはこのような話を聞いて、地域の日本語教育と日本語学校などにおける日本語教育との違いとして、どのような点に関心を持ちましたか?また、既に生活者への日本語教育の経験がある人は、自身の経験などと照らし合わせて、どういった点が興味深かったかを書き出してください。
経験③ 日本語学習・交流会
沖縄における日本語学習・交流の場での経験についての話を聞きました。
石原さんは沖縄に移住して13年ほどの間、大学の民営化が進められたこともあって多忙になり、活動範囲と視野が狭くなったと感じていました。大学でも日本語教育副専攻のための実習などを担当していたのですが、修了後に学生が関わるはずの県内の日本語学校や地域日本語教室について自分が知らないままであることに、自責の念を感じるようになりました。
そういう思いもあり、大学を辞めてベトナムで働いた後、帰国してから再び地域日本語教室に関わるようになりました。そのときにボランティアとして参加したのが KIP (KozaInternational Plaza) の「ゆんたく交流会」です。
「ゆんたく交流会」


日本語学習及び、情報交換を目的とした交流会を行っています。 毎週金曜日:19:00~20:30「日本語を母語としない方の為日本語講座」 毎週月曜日:19:00~20:30「多言語による生活相談(予約制)」など (「ゆんたく交流会」リンク)
残念ながらこの時に参加したKIPでは、過去の経験を生かす機会は得られなかったようです。しかし、コロナの影響で参加者が激減しているものの、KIP は今も「ゆんたく交流会」を継続しているそうです。
日本語教室への取材を通して / 養成講座の講師として
石原さんは沖縄県内の大学で日本語教師養成の講師をしていて、今回の講座のために日本語教室への取材にも行ってきました。これらの経験に基づいての話もしてもらいましょう。
日本語教室への取材を通して
日本語教室に取材することでわかったさまざまな課題や悩みがあるそうです。
沖縄には地域在住の外国人を対象とした日本語教室がいくつかあります。石原さんがそれらの日本語教室で聞いてきた話を紹介してもらいましょう。
日本語教室
ここでは、「にほんごサークル」と「どぅしぐわー」という2つの日本語教室・交流会について紹介してもらいます。
「にほんごサークル」


沖縄NGOセンターは元青年海外協力隊の方々を中心に、さまざまな国際交流や啓発イベントを行っていて、その一環として「にほんごサークル」を主宰しています。
以前は20人ぐらい集まっていて、近所にある沖縄国際大学の教室を借りていたそうですが、現在は少人数で、オンラインを併用しつつ事務所内で行なっているとのことでした。 (「日本語サークル」リンク)
「どぅしぐわー」


現在、もっとも活発に活動しているのは、こちらのようです。毎回10人ぐらいが集まっていて、日本人と外国人が半々。和気あいあいとした雰囲気の中、お互いに学び合う様子が素敵でした。進行役のカルロスさん(メキシコ)の手腕に負うところが大きいと感じました。
有能な地域在住外国人が主導権を任されることで、日本人参加者にとっても学びの多い場になっています。詳しいことは、FBをご参照ください。 (「どぅしぐわー」 Facebook リンク)
ボランティアや運営の方々といった、当事者の人々からの話も紹介してもらいましょう。
当事者の声から
以下の話にあるように、現場が円滑にまわっているようでも、やはり、悩みはいろいろあるようです。
ボランティアや運営の方から話を聞いてきました。
ボランティアの声
印象的だったのが、ファシリテーター役の役割の重要さでした。日本人ボランティアに委ねられることが多いのですが、有能な人ほど裏方に回りがちで、活動を支え続けることに疲れてしまいやすい、ということでした。
運営者の声
やはり人材不足、それを補うための広報の不足、人が集まった場合の場所の安定的確保が大変だそうです。そのためには、広報活動をどうやって浸透させるかという課題があります。また、参加者が増えれば物理的なスペースも必要になります。おそらく、他の地域でも、同様の悩みを抱えていることでしょう。
「不特定多数が参加」「誰でもwelcome」「セキュリティのため、参加者名簿作成」という事情のため、毎回参加者を確認してグループ分けを差配するファシリテーターが必要のですが、日本語教育の経験がある一人の古株ボランティアが毎回その役割を引き受けざるを得なくなり、本来の目的だった活動(外国人との会話・交流)ができなくなってしまったそうです。同じボランティアなのに、一人だけいつも裏方に回るのではなく、同じ役割を果たせる人が数名いれば交代で作業を分担できるのに・・・、という状態であったそうです。
養成講座の講師として
養成講座の講師という立場としてからも、地域の日本語教室について思うところがあるとのことです。
石原さんは大学の日本語教育副専攻科目や日本語教師養成講座を担当していますが、そのような立場からの反省点があるそうです。
教師育成の場と日本語教室の連携
教師育成の場と日本語教室が連携する可能性について考えていなかったことを反省しているそうです。

私が反省しているのは、地域日本語教室との連携を思いつかなかったということです。日本語教師を目指して勉強している受講生たちに対して、見聞を広げる場として紹介するべきだったと思うし、さらに積極的に両者を仲介することも考えられます。
確かに、これからは、日本語教師のあり方として地域の日本語教室の活動に触れ、学ぶことの重要性は高まっていきそうですね。
教師育成の場と日本語教室の連携
養成講座の修了者は即戦力として就職した人以外は連絡が途絶えることが多いそうですが、養成講座修了者と地域の日本語教室とを繋ぎつつ、フォローアップすることも可能だったのではないかという思いがあるとのことです。

概して、養成課程の修了者との連絡は、コースの修了後に即戦力として就職した方を除き、音信が途絶えてしまうことが多いという現実があります。せっかく興味を持って学んでくれたのに、それっきりで縁が無くなるのは残念なことです。
これまでは、主に日本語学校への就職あるいは海外での就職を念頭に置いて進路相談に応じていましたが、受講生が別の職に就いた場合でもボランティアとして支援活動に参加することが可能だと、もっと積極的に周知すれば良かったと反省しているのです。
フルタイムの日本語教師になるという選択肢がとれない事情があったとしても、今後重要性が増していく地域のボランティアとしての活動ならば、日本語教育に携わりつづけるという選択肢もあるということですね。
これからみなさんも関わる地域の日本語教室について、いろいろな課題などを含めて話を聞くことができました。
- 考えてみよう!
みなさんは、このセクションの話を聞いて、地域の日本語教室におけるボランティア活動のどのような点に課題ややりがいを感じましたか?隣の人の話も聞いてみてください。
日本語学校の現状と今後
前のセクションの最後では、地域の日本語教室の重要性が増していく中での日本語教師育成の場と日本語教室の連携について見ました。ここでは、「日本語学校」と日本語教室の連携についての石原さんの話を聞いてみましょう。
日本語学校の現状:新しい在留資格の影響
発想の転換を必要とされている日本語教育界ですが、日本語学校も転換点に来ているのかもしれません。
石原さんは、日本語学校が大きな転換点を迎えているように感じているとのことです。例えば、2021年現在の日本語学校の実情を表すニュースのひとつとして、以下のようなニュースがありました。
ネパール人留学生78人、在留資格を失効超過就労など理由 浦添の日本語学校
同校によると、現在の在籍留学生は223人。このうち、19年7月に入校した留学生142人が在留延長を申請し、78人がオーバーワークなどを理由に不許可となった。留学生の多くが卒業後、県内外への進学を決めていた。留学生らは学業の傍らアルバイトをし、月に10万円前後の収入を得ていた。
同校の島尻昇理事長は開校以来の厳しい経営状況だとし「オーバーワークに関し、管理者責任を感じているが、学生の人権にも配慮しなければならない。学校ができる限りの指導はしている」と話す。
同校は来年1月、新たにネパールから83人の留学生を受け入れる予定だったが、在留資格が許可されたのは、5人だけだった。同校によると、「支弁能力が足りない」などの理由で不許可になったという。
福岡入国管理局那覇支局は「通例通り、個別ごとに審査をした結果」としている。
(琉球新報電子版2020年12月2日12:18)
このニュースは沖縄の日本語教育関係者に大きな衝撃を与えました。142人中78人が在留延長を却下されたという事例は、これまでの前提が覆されたという大変な事態です。石原さんは、これは、去年から始まった特定技能での就労を促す意図によるものなのではないかと推察しています。

就労時間の超過に関しては、これまでもたびたび指摘されてきたことであり、最近急浮上した問題ではありません。TV取材に応じた同校のネパール人留学生は「先輩たちがやってきたことと同じことをしているのに、どうして僕たちだけがこんな目に遭うのか」と嘆いていました。個人的な推測ですが、政府の意向が働いて、雇用の調節弁として利用してきた留学生を切り捨てる方向に舵を切ったと見ることもできると考えています。
もし、これが、石原さんの推測するように、特定技能での就労を促すために留学ビザの発給を減らすという国の方針に基づくものなのだとしたら、今後、多くの日本語学校が、方針転換を余儀なくさせられる可能性が出てきます。
日本語学校の今後:地域日本語教室との協力
地域の日本語教室は、転換点にある日本語学校とどのように関係してくるのでしょうか?
以前の講座でも見たように、在留資格別の外国人就労者数において、留学生は、永住者のように就労に制限のない人たちを除くと、技能実習に次ぐ2番目の多さを占めていました。そう考えると、特別技能という新たな在留資格の出現による影響は小さくないはずです。
岐路に立つ日本語学校
このように考えると、日本語学校の側から見ると、これまで長年培ってきた経営モデルが通用しなくなる時代を迎えたことになるでしょう。石原さんはこの点について、次のような提案をしています。

考えられるのは、地域在住外国人を対象とする日本語教育(週に数時間)、「特定技能」などの企業内研修の受注などです。地域日本語教室との連携も視野に入ってくることでしょう。となると、教育内容も JLPT を目安にしていたものから、Can do を意識したものに転換する必要が出てくるかと思われます。
日本語学校で初級から中級レベルのクラスにいた留学生が、その後進学・就職して日本に定住したあとで、更にステップアップを目指したり地域の人たちとの交流の場を求めるという目的で再び母校で学ぶということがあっても不思議ではありません。日本語学校が異文化交流の拠点として提供できることは、もっとたくさんあるはずです。
例えば、以下のような業態の転換があり得るということです。
従来の経営モデル
サービスの内容
- 留学ビザ手続き代行
- 留学生の宿舎の手配・管理
- アルバイト斡旋
目標
- JLPT N5 → N2・N1
新しい経営モデル (案)
サービスの内容
- 定住外国人を対象とする
- 企業内研修の下請け
- 地域日本語教室との連携
目標
- Can do
日本語学校のもつノウハウも活かしつつ、ここまでの講座で見てきたような日本の社会的状況や日本語教育界の変化の動向に合わせた業態に転換していくということですね。
啐啄の機
石原さんによると、日本語学校の立つ現在のこのような状況はピンチとしてではなく、むしろいい機会として捉えられるのではないかということです。

このタイミングで文化庁が「生活者としての外国人」を研修課題として取り上げたことは、実に意義深いものであると思います。これまで交流の機会が少なかった「日本語学校」と「地域日本語教室」の両者が交流し、協働することの意義がこれまで以上に高まっていると感じるのは私だけでしょうか?「啐啄」という言葉があります。今が、そのタイミングかもしれません。
「啐啄(そったく)の機」
“啐”は雛が孵化しようとする際に雛が内からつつく音で、“啄”は母鳥が外からそれを外側からコツコツとつつく音を示す。
このように、今、日本語教育界は日本語学校と地域の日本語教室が連携を進めるためのいいチャンスを向かえているのではないか、ということですね。
日本語学校と地域日本語教室の協力
この両者が協力するには、お互いの強みでもって、お互いの弱いところをカバーし合うような関係になれるといいですね。それぞれが抱える悩みは、例えば、それぞれ以下のようなものがあります。
日本語学校の悩み
- カリキュラムに課外活動を組み込むのが困難 (遠足や見学 ・文化体験 (料理や書道など))
- 学生から日本社会へ発信する場が少ない
- 地域社会との交流 (〇〇祭)
地域日本語教室の悩み
- 人材の供給源がほしい
- 活動スペースを確保したい
- 情報を広げたい
このような点を踏まえて、石原さんは次のような提案をしています。
両者の強みを活かすには、例えば、次のようなことができると思います。
- 例① 日本語学校→ 地域日本語教室:土日や夜の空き教室を貸し出す
- 例② 地域日本語教室→ 日本語学校:課外活動を請け負う
- 例③ 日本語スピーチコンテストに共同で取り組む
- 例④ 日本語学校の教員が地域日本語教室のためにローカルな話題を盛り込んだ教材を開発する
ほかにも、もっといいアイデアがあるかもしれません。
考えれば、いろいろ出てきそうですね。発想を転換して、どんなことに挑戦できそうか考えてみましょう。
日本語学校と地域の日本語教室との連携はいろいろな可能性を秘めていそうですね。日本語学校の業態の転換の可能性も含めて、みなさんもどんな可能性があるか、一緒に考えてみましょう。
- 考えてみよう!
日本語学校の業態の転換や地域の日本語教室との連携について、どのような可能性がありそうでしょうか。また、それを実現するためにどのような課題があるかも考えてみてください。石原さんの提示してくださったアイデアも含めて考えてみましょう。
さいごに
今回の講座はみなさんに近い視点から、さまざまな観点からの貴重な話が聞けたかと思います。
この講座では、日本語教師としての経験は持ちながらも、生活者としての外国人に対する日本語教育に関しては専門ではないという石原さんの挑戦についての話を聞いてきました。今回の講座を受けているみなさんの中には、当時の石原さんと似たバックグラウンドをもっている人も多いと思います。
地域の日本語教育はなかなか理想通りには行かない面も多そうですが、やりがいもあり、チャレンジする価値のあるものだと感じた方が多いのではないでしょうか。
また、転換期にある日本語教育界における日本語学校のあり方についても、一緒に考えました。私は石原さんの話を聞いて、このような転換点を迎えていることを前向きに捉えて、いろいろな挑戦ができるといいなと思いました。みなさんはいかがですか?
みなさんも、石原さんのように現場でいろいろな挑戦をしながら多くのことを学び、後に続く人々に伝えていけるようになってください!

